当院の沿革

当院の沿革と、創業者・福永重雄(1936-2016)、福永重明のスポーツトレーナー履歴の概略
当院は「福永整骨院」として、広島東洋カープトレーナーから独立した福永重雄が1970年(昭和45年)1月に広島市大手町二丁目6番地(当時)に開院しました。二度の休止期間はありますが広島中央エリア現存最古の柔道整復師院(整骨院/接骨院)となります。プロ仕様のスポーツセラピーを柱に、開院以来現在まで自費診療のみで運営しております。大手町一番ビル新築時に現住所に移転し、2002年に福永重明が継承しました。その概略をご紹介させていただきます。

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山口県下松市で整骨院を営んでいた父 重作が
長男 重雄を小守スポーツマッサージ療院に送り出す重雄の父 故 福永重作(1900-1977)が山口県下松市に福永整骨院(昭和元年開院・現在は閉院)を営む。日本でスポーツトレーナーという職種を実質的に立ち上げ日本の鍼灸史にも大いなる足跡を残された故 小守良勝氏と親交があった重作は、長男 重雄をプロ野球を含む様々なスポーツでトレーナーを主導する先駆的存在であった小守スポーツマッサージ療院へ送り出す。
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1956年~
1959年首都圏球団のトレーナーとして活動
小守スポーツマッサージ療院は、日本の多くのスポーツのトレーナーを実質的にリードしており、重雄も同院勤務期間に大映スターズ・読売ジャイアンツのトレーナーをそれぞれ2年間務めた。(毎日大映オリオンズと高橋ユニオンズも短期間務めたとも)


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1960年~
1969年広島東洋カープトレーナーを務める
重雄が小守スポーツマッサージ療院より送り出され、地元に近い広島東洋カープ専属のトレーナーとなり、チーフトレーナーを務める。


重雄は、弟の福永富雄(1942~)も小守スポーツマッサージ療院を経て、広島東洋カープトレーナーへ導き、兄弟トレーナーとして話題になる。
富雄はカープ黄金時代を支えたトレーナーとして、1963年から2020年まで58年間在籍し、日本プロ野球トレーナー協会会長も勤めた。東京オリンピック(1964年)
1964年の東京オリンピック期間はプロ野球のトレーナーもサポートに入り、重雄はケニア国・ガーナ国のトレーナーを担当。


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1970年
広島市大手町二丁目に「福永整骨院」を開院
重雄は1969年末に10年務めた広島東洋カープを退職し、翌1970年1月7日福永整骨院を開院。自費診療で本格的なスポーツマッサージを広島に送り出す。
院の運営の傍に、東洋工業サッカー部(サンフレッチェ広島F.Cの前身)、専売広島(JTサンダース広島の前身)のトレーナーも務めた。
サッカーのトレーナー時代は、東洋工業の1970年1月1日(福永整骨院の開院6日前)の第49回サッカー天皇杯優勝、サッカー日本代表チームの1970年7~8月の第14回ムルデカ大会(マレーシア)へ帯同。

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1980年
~2001年大手町一番ビル新築に伴い、福永整骨院を移転
引退まで現場で治療を続ける広島の多くのプロアマスポーツ・一般・芸能関係まで幅広く治療してきた重雄は最後まで弟子を採用せず、妻の故 福永佐代子(1942-2014)のサポートを得ながら引退する2001年まで現場で治療を続けた。


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2002年~
福永重明が福永整骨院を引き継ぐ
当院代表の福永重明は、1992年から広島東洋カープのトレーナーを二期27年務めた。
また福永整骨院を2002年に引き継ぎ、5年間外来にて多くの方の施術を担う。カープトレーナー勤務期は、1軍トレーナー・2軍チーフトレーナー・3軍チーフトレーナーを歴任。
日本野球機構 NPB AWARDSにて、スタッフ部門賞(2012年)、ウエスタンリーグ功労賞(2023年)を受賞。

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2024年~
再開業 セラピース整骨院に名称変更
1970年から2006年まで、二代にわたり運営してきた「福永整骨院」を、設備・内装を一新し「セラピース整骨院」として再開業。
株式会社ソナセス運営にて、院内外でさまざまな活動を行なっていきます。


